またひとつノブ毀ししを言ひきたる少年よ何に切なきならむ(ルビ・毀し:こはし) 黒木三千代

黒木三千代の第一歌集『貴妃の脂』より
幻の歌集と言われている、この歌集を持っていることを、ついつい自慢してしまう。
「あなたが、大きく影響を受けた歌人は」と問われたら、黒木三千代の名前を躊躇わずに挙げる。(誰も聞いてはくれぬのだが)

親しくしていただいている歌友で結社の先輩歌人が、超結社の歌会で黒木三千代と、かつて席を同じくしていた事がある。
「黒木さんはね、息子さんの事が大好きなのよ」とその歌人が楽しそうに教えてくれた。「とっても幸せな表情をして、息子さんの話をするの」女の子ばかりの母である彼女は、羨ましそうに話してくれた。
私もその頃、羨ましく思いながらその話を聞いた。まだ、学齢期に入るか入らぬかの、洟垂れ坊主を三人抱え(アレルギー性鼻炎で、本当に洟垂れだったのだ)、振り回される毎日。子育てを楽しむ、そんな「美しいお話」他人事だと思っていた。
しかし、今長男が中学二年生となり、身長も180cmに近付きつつあり、次男もこの春から中学生、思春期の少年の美しさに、息子自慢をしたくなり、まだ幼い三男を愛おしく思えるようになった。

歌集の第一章の巻頭『貴妃の脂』一連、これは1987年第三十回「短歌研究新人賞」受賞作であろう。その一連の中に掲出歌のほか

怒らせておいて怒れば「かはいい」とからかふ吾子はすでにし男
金管楽器吹く少年が持ち帰るハンカチに虹のごときしみあり
(「しみ」に「ヽヽ」打ちあり)

直接息子を詠んでいる歌、この二首がある。
また「『中学校音楽』図版に遊ぶ 群肝のタンバリン・垂氷なすトライアングル(ルビ・群肝:むらぎも、垂氷:たるひ)」など、存在の関連を感じさせられる歌も、数首ある。

掲出歌であるが、ノブを「また」毀したと伝えくる少年(息子)に、何に切ないのだと問い掛けている。
実際にそう問うても、返事はないことを母親の黒木は知っている。少年にとって、「切なき」事象は限りなくあるのだ。
常に苛立ち、己を追い詰める、そしてついつい何かを破壊してしまう、毀そうと強く意識しているのではなく、毀さざるを得ない、毀してしまう。その少年の切なき状態を見守る、母も「切ない」のだ。しかし母の「切なさ」の中に、甘美な感情を垣間見せている。

母にとって最愛の男は、息子ではないだろうか。いつか自分のもとを去ってゆく、捨てられると知りながらも、愛さずにはいられない。
私も近い将来、三回の「失恋」を繰り返し、自分の一番身近な男である夫へと、還ってゆくのかもしれない。(2/11)