真昼間に十日の月のかかりいて跳ぬる兎はせましとなげく

自作自評は得意な方ではない。
出来ることならば、避けて通りたいくらいだ。

このブログの「十日の兎」はこの歌からとったものだ。

中学2年生の三男が保育園に通っていた頃の歌であるから、もう十年以上前の自作だ。
こうして読み返してみると、一句目が「青空に」を持ってくるなど、技巧的にも稚拙だと感じる。

しかし今の自分にこれを超える歌を詠めるかとたずねられると、否としか答えようがない。

晩春の真昼、歩を止めて見上げた空に、白い月が懸かっていた。
ただそれだけの歌なのだが
ああ、兎が跳ねるには狭いだろう
そう感じたのだった。

ただそれだけの歌である。

擬人法は弱くなると、結社の先輩歌人である田中佳宏に注意されたことがある。
自分自身は擬人法と意識していなかったが、動物・植物・飲食物などを多く詠んでいた。

この歌が擬人法であるのであれば、この兎である人は誰であろうか。
幼い男の子を三人育てながら、歌を詠んでいた若かりし日の私であろうか。

その後兎は跳ね方を忘れ、それでも飛び跳ねるべくもがいていたのだ。


歌について厳しくも優しく語ってくれた田中佳宏は、すでに鬼門に入ってしまった。
まだ埼玉県で葱でも栽培しているのではないか、会いたいと強く思う。




兎は月から降りて跳ねようと目論んでいるのだ。