観覧車回れよ回れ想ひでは君には一日我には一生  栗木京子

けむり水晶―栗木京子歌集 (角川短歌叢書―塔21世紀叢書)

けむり水晶―栗木京子歌集 (角川短歌叢書―塔21世紀叢書)

短歌を楽しむ (岩波ジュニア新書 (342))

短歌を楽しむ (岩波ジュニア新書 (342))

この歌を取り上げるのは、二度目である。
以前、2006-01-01 のんびりゆっくりなんとなく でもこの歌について書いている。


今日から、私が室長をしている学習教室の、大学進学コースの授業が始まった。
学習教室の授業に短歌を取り入れることを進言してくれたのは、国公立大学へと多くの生徒を進学させている教室の室長であった。
進学教室に短歌、この組み合わせがどうして出てくるのか、最初は納得ができなかった。
「短歌」ほど、この世の中で不要のものはないだろうと思っていたのだ。
その不要のものを続けている自分に、後ろめたさすら感じているのだった。

しかし、多感な年代の生徒たちと、短歌について語ってみたいと思っている、自分もいるのだった。

五七五で今の自分の感じていることを、表現させることから始めてみた。
生徒たちは懸命に作ってくる。
それらの作品の煌きは、十代でなくては出せないものばかり。

その授業の最中、小池光・寺山修司などの歌人の歌と一緒に、栗木京子氏のこの歌の鑑賞を試みた。
男子生徒ばかりの教室は
「恋人との別れの歌だろう」「何故観覧車なのだろう」との声が出てきた。
これはまだ年若い女性の歌であること、恋の始まりの歌と鑑賞されることが多いことを話してみた。
それでも、彼らには不満であるようだった。
そこで、この歌は教員をはじめたばかりの女教師の歌であること
校外学習のでの歌でえあることを、説明してみた。
「まだ学生である生徒たちにとって、これはたった一日の思い出である」ことと
「しかし、教員になったばかりの作者にとって、この体験は一生の思い出となるだろう」ことを語りながら、ふと胸元に込み上げそうになってくるものがあった。


私は、十代で家庭教師や塾講師として、「教える」事を始めていた。
結婚前の数年から昨年まで、20年近いブランクがあり、この仕事を再開した。
昔の私は、良い先生ではなかったように思う。
今よりわかりやすい授業をし、生徒に人気があったとしても
あの頃の私を、全面的に肯定できない気持ちがあった。
もしやり直せるのならば、そう思い昨年総合塾で講師の仕事をしてみた。
高校受験を控えている中学生相手の仕事であった。
生徒からは「先生の数学わかりやすい」と好感触ではあったが、「良い先生」であるのか、自信はなかった。
本当に生徒のためになる授業をしているのか、一点でも多く点数を積み重ねることに気をとられている、そんな自分がそこにいたからだ。

体力的限界もあり、その職場を辞し暫らくたってから、また「教えたい」との衝動が湧き上がってきた。
中学生の生徒を教えていたが、常に自問自答する部分があった。

そして、この十月から高校生の教室も持つこととなり
生徒としてもう一度向き合いたいと思った生徒がいた。
彼とその母親は、快くこの教室への入会を決めてくれた。
今日の授業は私が個別指導の教室としてはじめるにあたり、教えたい生徒の中のメンバーが参加してくれた。

一斉授業ではなく、個別に生徒と向き合う教室だ。

最初は、個人紹介から始まった。
同じ高校へと通学していても、別の中学からの進学で、別々のクラスにいる生徒たちにとって、話題は尽きないものだった。
弾みのある雰囲気の中、授業は始まり「観覧車」の歌となり、件の説明であった。
生徒たちは、作者が教師であることで、納得が行ったようだった。
一人の生徒から「あの歌のはなしを聞いて、じぃんと胸がなった」と伝えられた。


この仕事に就くことができ、良かったと思った。