判らするための努力がけだるくて目まひする別れかたして来たる  石田比呂志

(「石田比呂志全歌集・初期歌編」より )



 短歌研究第14号10巻、昭和32年9月号の「第五回五十首詠」の入選作の中に、この歌はある。
 その号に大きく「絶賛発売」として「松田さえこ歌集『さるびあ街』」の公告が大きくされていた。
 その年の特選はなく、推薦に大寺龍雄(一路)片山静枝(遠つびと)伊藤登世秋(形成)の三人が推されている。
 石田比呂志は標土の所属として、作品「轉身以前」が他15作品と共に「入選」となり掲載されている。
 その当時、石田は公共職業安定所の職員として、主に失業者対策事業に従事していた。
 「訛多き会合にいたくつかれつつあがり際の雨を窓に見て立つ」「十一月の昼の映画館広くして椅子の間に黒き犬をり」などの歌が並ぶ中、丁度真ん中あたりにこの歌が位置をしているのだ。
 「判らする努力が」虚しいでも詰らないでもなく「けだるい」と26歳の石田青年は感じ「目まひする別れかた」をしてきたと言う。
 その相手は恋人ではないように、一連から感じられる。
 それでは一体相手は誰なのか、そしてタイトルにもなっている「轉身以前」の転身は何からなのであろう。
 その当時、政治運動に身を挺していた、そのような話を聞いたことはあっただろうか。確かに職場柄そして時代性は、労働組合運動
の盛んであったろう。
 その辺りのことを、本人に尋ねたなら照れながらもかたってくれっるであろうが、なぜかそれをしたいとは思わずにいる。
 それは私自身も「判らするための努力がけだるくて目まひする別れかたして来たる」と感じることが、対社会においてままにあるからであり、よく口誦する一首なのだからかもしれない。
 石田比呂志の「転身」は一生謎のままでも良いのだろう。