酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも  石田比呂志

歌集『滴滴』の中より

石田比呂志全歌集

石田比呂志全歌集

石田比呂志は、歌作の手の内を、簡単に見せる歌人である
どのように推敲したのか、ポイントを何処に置いたのか、どんどん周囲の人間に語り教える。

文芸も「芸事」の世界であるのなら、「芸」は伝承するものであろう。

嘗て島田幸典が「歌人にも二つのタイプがあり、一つは芸術家であり、もう一つは職人である」そして「石田比呂志は職人であろう」と論じたことがあった。
それに対し石田は「自分は芸術家でもあると思っている」と語っている。
芸の伝承の側面から見ると、確かに職人の師弟関係ではあるが、日本の優れた工芸品が職人たちの技の継承により続いてきた芸術であるならば、「職人でもあり芸術家でもある」ことに矛盾はないのであろう。

この歌も、まだ女子大生だった浜名理香と上妻朱美が、居酒屋にて石田の酒を啜っている傍で、「鯛焼きは頭から食べるのか」「それとも尻尾から食べるのか」を論じ合っていた事から、生まれた歌である。
「いたいか鯛焼き」ではなく「痛いかししゃも」として、歌となったと石田は言う。
歌は「事実」を述べるものではなく「真実」を詠まねばならない。
真実のためには、「嘘」も必要なのであると。

『滴滴』の後書にも

私は、この歳になってようやく、歌というもの、文芸というものが、いかに嘘の所産であるかということを知ったような気がする。つまり虚の中のかすかな実を知ったのだった。

このように語っている。

嘘の中に大輪の真実の花を咲かせる、その技を盗む事は出来るのであろうか。 (2/7)