小綬鶏の鋭き鳴き声を一瞬に吸収したる杉木立はも(ルビ・鋭き:とき)  福田正弘

福田正弘第一歌集『無明の酒』の巻頭作品である。

題名の「無明の酒」は広辞苑によると「無明が人の本心をくらますことを酒にたとえていう語」とある。さらに「無明」は心理に暗いこと、一切の迷妄、煩悩の根源、三感の一とある。(作者後書より)

「牙」は歌壇の吹溜り、そのように自嘲的に語られる。他の結社・同人にて居場所のなくなった、引き取り手のないまたは、務まらぬ人間が多く集まるところで、あるらしい。
酒によって身を滅ぼした歌人も、少なからずいる。
今は亡き歌友、岩本愚円もそうだ。
福田正弘も、その一人になるのではないかと、危惧したのであった。岩本愚円と互いに顔を合わすことはなくとも、親しくしていた私には、福田は心配な一人であった。岩本の二の舞を踏むことになるのではないかと

福田は掲出歌にも感じられるのだが、聡明で智的な反面、酒に溺れた歌を詠む人であった

黄なる花南瓜の花の三つあまり露ふふみ咲く母の忌の朝
交尾をば終えし揚羽が玉砂利にしばし憩いて飛立ちにけり
岩走る垂水の淵をぬばたまの黒き蜻蛉ゆらゆら飛ぶも
里芋と烏賊の煮付けのわれながら上出来なれば寂しくなりぬ
いざ飯を食わんと声に発すれど応答のなし独り身なれば
母の忌を終えて安けき昼去りに蟹の甲羅をせせりて食えり
両の手を股に挟みて眼をば閉ずれば笹に降る雨の音
(ルビ・眼:まなこ)

年毎に並べられた歌の冒頭部分、平成八年の歌である。
平成八年より歌を始めた、福田のほんの初期の作品であるが、既に短歌としての骨格が出来上がっていた。
細部まで視線が行き届き、体感したそれを、描写している。

掲出歌も、「小綬鶏の鋭き」鳴き声が、杉の木立の中へ「吸収」される、初心者でここまで詠める人は、どれ程いるのだろうか。
平成十三年の作品が、『無明の酒』の最後の章である。
その年、福田正弘は再婚し、酒浸りの生活から抜け出したのだ。
そして、短歌を一旦止めることとなる。
「幸せだと歌は詠めない」そう言って去ったと、先輩歌人から知らされたとき、私は何度目かのこの言葉を口にしたのだ「福田さんはずるい」。

そう、私にとて福田正弘は「ずるい人」なのだ。
作歌初めるときすでに韻律を身に付けており、境涯の陰も充分なほど射していたのだ。
後から短歌を始め、あっという間に前方を走り、そして短歌の世界から去っていくなんて、格好良過ぎるではないか。格好良過ぎて「ずるい」のだ

平成十五年にこの歌集は、編まれている。自家製版本として

この本の跋文についても、後日触れねばならぬ。

福田正弘は、最近また歌を詠んでいる。歌詠みは、歌を詠まずには、居られぬのだろう。(2/9)