冬の皺寄せいる海よいま少し生きておのれの無惨を見むか  中城ふみ子

(先日の分も、まだ書いていませんが。この季節になると、ついつい思い出すのがふみ子ですので)

もう何年も前のこととなってしまった。
今小学五年生の三男はまだ、就学前だった。
あれは海の日だったのだと思う、唐突に十勝の海を見たくなったのは。
子供達三人を車に詰め込み、峠を越え走り続けた。
道筋の両側に、いつも見慣れた十勝の街並みとは違った、平坦で殺風景な景色を眺めながら。
自宅を出て、三時間余りも経った頃だったろう
十勝の大樹の浜に着いたのだった。

その海は、同じ太平洋でも、噴火湾から襟裳岬へと続く海岸線とは、まったく別の太平洋があった。

遠くまで続く砂浜の向こうに、それはそれは何処までも、何処までも真平な海が広がっていたのだった。
遠く彼方、深い色をした海から空が、立ち上がって私たちの頭上へと、のびあがってきていた。


またあの風景を見てみたいと、家族旅行のついでに、立ち寄ってもみるのだが、夏の海は深い海霧に隠れ、見ることは出来なかった。
地元の人たちの会話により知ったのだが、夏の大樹の浜は天気の良い日はほとんど霧に閉ざされているのだそうだ。
あの日の私たちは、大層幸運だったのだ。

あの海を見てから、どれほど経ってからだったろう
掲出歌の海は、ふみ子の妹の家のあった小樽から、札幌への病院へと通う列車の窓から見た日本海の風景であると、そう解説されていたのだが
実は、大樹の海であると知ったのは。

真冬の大樹の海は、早朝に気嵐が立つという。
冷たく広がる海を目の前に、ふみ子はこの歌を詠んだのだ。
足元は、凍結した地面だったのだろう。
何処までも広がる、絶望的なまで広い太平洋を前に、ふみ子はこの歌を詠んだのだった。


あの後、オホーツクの海も何度か見、日本海も太平洋も眺めているが
あの日の海と同じ海を、見たことは未だ無い。  (9/11)