母を軸に子の驅けめぐる原の晝木の芽は近き林より匂ふ  中城ふみ子

帯広市の中心部の緑地帯、緑ヶ丘公園の歌碑にこの歌が刻まれている

美しき独断―中城ふみ子全歌集

美しき独断―中城ふみ子全歌集

ふみ子を知る人は、この歌を代表歌として引く。

奔放で小悪魔的だった女性、伝説となってしまったそのイメージと、実際ふみ子と交流のあった人の彼女とも思い出とは、距離がある

渡辺淳一の「冬の花火

冬の花火 (集英社文庫)

冬の花火 (集英社文庫)

この物語によって、出来上がってしまったイメージが大きいのだろう
小説の主人公が、一人歩きをしてしまったのだ

歌と評論によりその人となりを知った私は、流言しているものとは違ったふみ子像が出来上がったのだった

取上げた歌であるが
五月、初夏と呼ばれる季節であろうか。「木の芽が匂う」季節である
帯広市のその公園周辺を見知っているので、情景が目に浮かぶのだ

帯広市のある十勝地方の夏は、空がどこまでも高く、大気に湿気が無い、それはそれは美しい季節である
気温はとても高く暑いが、木陰に入ると涼しいのだ
冬は雪も多く凍てつく。それでも冬の十勝晴れは、北海道でも有名である
そのような寒暖のはっきりした気候の中で生活をしている、母子。
父を無くした子と母が、木の芽匂う林の中で遊んでいる。
子は母を中心軸として、駆け回っている
明るい光に満ちた情景である。
木々の葉は、木漏れ日を母子に作ってくれているであろう。

少女のような母親と、幼子たちの歓声が聞こえてくるのだ
この瞬間、作者は幸福であった・・・私はそ考える
誇り高きふみ子のことを思うと

縋りくるどの手も未だ小さくて母は切なしつくしの野道
悲しみの結実(みのり)の如き子を抱きてその重たさは限りもあらぬ
陽にあそぶわが子と花の球根と同じほどなる悲しみ誘ふ

夫に裏切られ、出奔された妻であると同時に、ふみ子は母親でもあったのだ。


ふみ子は夫の生地四国に赴いたが、馴染めず北海道へと戻って来たとの記録もある
夫が薬物の常習者であるとのような印象を与える歌もあるが、事実ではないとの証言もあるようだ
現実とは、事実とは、真実とは何であろう

100%事実と異なることで、虚構であると断言できるのであろうか
中城ふみ子は、できることならば遠ざけ、触れたくはないテーマであった
これから幾度となく、ふみ子の歌を語ることとなるのであろう