草隠り鳴ける蛙の声低し鳴き止みたれば唯のくさむら  野口和夫

軽トラック一台分の人生を載せて息子が今日やってきた 
気の抜けしビールも旨し他人には可愛くもなき子と暮らしつつ

以前「野口さんは、とほほの人である」と書いたことがあった。野口さんの「とほほ」は技である。天に昇ること無い「とほほ」を、地に落ちることなく、スレスレのところで浮かばせている。
掲出の二首は、離れ住んでいた子と、久し振りに共に住むこととなった心弾みが感じられる。
「軽トラック一台分の人生」の息子ではあるが、これからどんどん積む荷物が増えてゆく。父親としての眼差しが感じられる。それは、暖かいだけではなく、困難もあるであろうことを知っている、男親の眼差しである。一首全体が口語体であることも、よく効いている。
二首目も「気の抜けしビール」はいつもの『とほほ』であるが、「他人には可愛くもなき子と暮らしつつ」であれは、旨いと断言している。情の深いところでの如何とも説明のし難い感情の揺らぎが、率直に陳べられている。孫の可愛いとは違い、父親の子の可愛いは、哀感すら感じさせるのは、何故だろうか。

草隠り鳴ける蛙の声低し鳴き止みたれば唯のくさむら

今月の野口さんの歌で、取上げるべきは、本来この歌であろう。情景描写、調べともに整い、力量を感じさせられる。