檻の中を歩む孔雀は羽を拡げわれは人生を諦め難し 石田比呂志
石田比呂志第一歌集「無用の歌」の中の一首である。
出版時、石田は35歳、東京でキャバレーの支配人であった頃であろう。
夫人の山埜井喜美枝と共に、「未来」の会員だった頃である。
山埜井氏がNHK短歌の選者となったばかりの頃、某掲示板に「ぽっと出の田舎のおばさん歌人」と書いていた物識らずもいたが、若い頃から未来でも注目されていた才媛である。
石田比呂志を「無頼」と評する人が多いが、当の石田は「一度も自分を無頼と思ったことは無い」と言い切る。
官吏としての道が、幾度か目の前に開かれそうになっている。
しかしそのたびに栄達の道に、背を向けてしまう石田。そのとき山埜井はどうのように思いながら、共に暮らしていたのであろう。
ついつい女性であるからか、山埜井喜美枝に感情移入をしてしまいそうになるが、掲出歌に戻ろう。
上句で「檻の中を歩む孔雀は羽を拡げ」と具体を示し、下句にて「われは人生を諦め難し」と主観を述べている。
今気付いたのだが、「人生を諦め難し」と格助詞の「を」が使われている。
「人生諦め難し」ではなく「人生を諦め難し」なのである。
孔雀は華やかに羽を拡げつつ、檻の中を歩んでいる。それを見ている一人、人生を諦めきれないとあらためて思う。
本来ならば、この歌における「檻」「孔雀」の意味性を、分析すべきなであろう。
この「檻」とは、社会規範または一般的社会生活と、見なすべきであろうか。
石田比呂志は、自ら社会規範を破ろうとも、一般的社会生活を貶めたことも、一度も無いはずである。
その中に収まり切れぬ自分の不甲斐なさを、何故と思うことはあったであろうが。
羽を大きく広げ、周囲を威嚇して歩いている孔雀を見て、「人生を諦め難し」と思ったとしても、良いのではないだろうか。
私はこの歌を読み、「人生を諦め難し」とつくづく念じたのであった。
ふと「人生を諦め難し」と切実に感じたときに、網膜の中に孔雀の羽が拡がったのかもしれない。
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