ほろびたる言語を恋えば霧多布の岬をたちまち濃霧が閉ざす   久々湊盈子


久々湊盈子の歌は、介護・厨・子供・家族等ジャンルが広い
(一旦ここで休みます)

子供たちの冬休み中であるため、PCに向かっても落ち着かなく
家人が眠るのを待っていると、自分ももう眠たく、睡魔に勝てない
そのような生活だから、尚更久々湊の短歌に惹かれるのかもしれない

(書き込み再開)

歌集「あらばしり」も、舅との関わりから生まれた歌が多い

あらばしり―歌集 (「個性」叢書 (第260篇))

あらばしり―歌集 (「個性」叢書 (第260篇))

その中で、あえてこの歌を選んだのは、あとがきから抜粋すると
「五年前、五十歳の年に一念発起して自動車の運転免許を取った。」
「本集からは旅の歌はみな、そのようにして自動車を利用したものとなった。」
北海道も四国も、車で駆け回ったと書かれている。
その心はずみが、「北国行」一連から伝わって来たのだった。
ほかにも
モノレール天王洲アイルを過ぎるころわれも旅人の顔となりたる
速度制限あって用なし根室から羅臼へ100キロ 視界良好
一身の不明を恥じて鳴きのぼる春の雲雀か知床原野
もの言わず朽ちゆくばかり倒木の白き無念をトドワラと呼ぶ

これらがある

北海道の地名は、アイヌ語から由来したものが多い。
「霧多布」もやはりアイヌ語の「茅を刈るところ」から由来している。(この岬のある釧路地方は、年間を通して霧のそれも濃霧の立ち込めることの多い地であるので、よく名付けていると感心してしまう。)
現在、アイヌ語は地名の中で、細々と残っているだけである。
アイヌ語教室も、最近盛んに行われているようであるが、ユーカラの口誦の出来る古老はどれ程残っているのだろうか。
「ほろびたる言語」であるところのアイヌ語、それらをかろうじて継承していると思われる地名を巡りつつ、「言霊を恋う」旅を作者は続けているのではないだろうか


参考のため・ユーカラ(アルファベット表記による)とその和訳「銀の滴降る降るまわりに」知里幸恵
(こちらのサイトの管理者への報告、掲載後となりましたこと、深謝いたします)