鼻歌をうたいながらにスキップに過ぎて行きしは「寅」にあらずや  豊嶋雅明

歌友、豊嶋雅明の歌である。結社誌の11月号に掲載された
「鼻歌をうたいながらスキップを踏んで通り過ぎたのは「寅」であろうか」一読、納得したのだ
が、一瞬立ち止まり、再読をした
「寅」がスキップを踏む。それも、鼻歌をうたいながら
と、と、とよしまさん、そりゃあないだろう。目の前に「とら」が通り過ぎて、涼しい顔をしていて良いのかい。
もう少し若者ならば、「寅」の後「午」がやってくるのだろうが、60歳を過ぎた偉丈夫豊嶋雅明の場合、そのようなこともあるまい。
同じ月の作品に

そこはかと無き連体を感じおり暴風域の円内に居て
今仮に海を歌わばその海は誰の海かと問うであろうか

等がある

人生の後半に入ってから短歌へと傾倒し、晩学の豊嶋雅明。持ち前の勤勉さで、遅咲きの花を咲かせている
歌集の出版をしたという噂は、まだ聞かない
豊嶋雅明よ、歌集出版に関しては、私を出し抜いても、ゆるしてあげよう・・・あくまでも、私は豊嶋に対して、高飛車女なのである。「歌友」と呼ばれ、いつもの笑みを浮かべつつも、内心深い溜息を吐いているのではないだろうか。

豊嶋雅明第一歌集出版にさいしては「大型冷凍冷蔵庫のひと」として、彼方此方に吹聴して歩こう。
その日のために、「豊嶋雅明」でカテゴリーを作っておいてあげるから、速やかに出版されるべし
(大柄な九州男児を、高いところから見下ろす道産子牝馬より)