携帯電話持たず終わらむ死んでからまで便利に呼び出されてたまるか  齊藤史

大変便利な時代になってしまった。
いつでも、どこでも、だれでも、電話をかけることができるのだ
手のひらの中に収まる、小さな機械で

一応私も、携帯電話を持っている。友人や家族に、不携帯電話と評判は芳しくない
外出時、持ち歩かなくとも、困ったことはほとんど無い。
寧ろ、出掛け先まで野暮用が、追いかけてくるのだ。

ケータイ短歌というものも、あるらしいが、ネットの海に短歌を泳がせることすら、後ろめたく心炒めている痛めている(本気ですとも・・・師匠信じて)位なので、どのようなものかわからない

掲出歌は、歌集「風翩翻」に収録されている

風翩翻―歌集 (原型叢書 (第90編))

風翩翻―歌集 (原型叢書 (第90編))

老いてゆくものの作法を心得てひっそりと微(かす)かにありし老鶏
声も立てず眼を閉じて居りき死に向きて無援なること知りてゐたりき
空椅子は夕風のなか旅立ちか遁走か羽化したるか不明

これら、「やがて死にゆく」ことを見つめていることを主題とした、歌が収められている

死んでからまで便利に呼び出されてたまるか」なんとも気風の良い歌ではないか。
あの世まで、携帯電話でお呼びがかかっては、たまらぬぞ・・・うむ、潔い

句に分けるとこうなるのだろうか
「けいたいでんわ/もたずおわらむ/しんでから/までべんりによび/だされてたまるか」
見事なまでの破調である。

「いつまでも、定型にばかり、なっていてたまるか」そのように、天国で笑っているのだろうか