風間博夫第一歌集「動かぬ画鋲」を読む

非常に良質の、寄物陳思に貫かれるべき、一冊であろう
三部に分かれる構成となっているのだが、残念ながら最後の三部が、一首ごと屹立しづらくなっている
二部までは、表題にもなっている「完璧に壁を貫きしっかりと壁に食ひ込み動かぬ画鋲」の歌にみられる寄物陳思に貫かれ、其々歌が屹立している
  角砂糖コーヒー色に浸されて立方体の綾崩れゆく
  除湿機のタンクを抜けばいつの間に溢れんばかりの透き通る水
  デジタルの音蓄えしCDの薄き円盤に虹色光る
  つんのめるごとくに歩むをさな子の喜びならむ母までの距離
これらの歌に貫かれているのは「かなし」の精神であろうか
「愛し」「哀し」そして「儚し(はかなし)」であろう
また、研究者としての、独特の視線が、この人の作品の「かなし」を益々深くする
  階段は斜めであるが階段の段はいづれも水平である
  年輪を見れば確かに何百年生きたか分かる何年までも
物を視ることに、客観視することに徹しようとする。しかし物を通して、氏の生きてきた道程、即ち境涯が垣間見えてくるのだ
  スクラップアンドビルドのはじまりとして砂浜の子らの砂山
この歌の背景にあるものが、風間博夫の歌への原点ではないのだろうか
「破戒そして構築」短歌とは、それの繰返しであろう
家族を読んだ歌にも、秀歌は多い
だから尚更、三部の作品が残念でならない。
「砂漠に眠る兵士」の一連も、秀歌が多いだけに、一連の繋がりとなってしまったことが残念である
記号を使い、ルビを多用して、実験的な試みも見られるが、成功しているかどうか、私としては不明である
風間さん、「スクラップアンドビルド」に徹し、余計な抒情を廃し、物に執して読みつづけて欲しい
その物への拘りの中から、人生の翳り・明暗が見えてくるのではないか