そらはまたするどき玻璃の粉を噴きてこの天窓のレースに降らす  宮沢賢治

宮沢賢治の大正七年〜八年に詠まれた歌

宮沢賢治の歌が、詩に比して評価が低いことの原因に、「甘さ」を指摘している文献を読んだことがある。
一体誰の書いたものであったか、資料も手元に無いのだが。

こうして、賢治の歌に触れ感じるのは、今の時代にこそ相応しいことである。
前衛短歌運動も終え、それすらも伝説となってしまった世代の歌に近い物を感じる。
「そらはまたするどき玻璃の粉を噴き」雪のことであろう。それが「天窓のレースに降らす」天窓にレースのカーテンがかかっているとの読み方もあろう。また、天窓に積り、レース模様となったとも、読むこともできる。私としては、二十二歳の青年賢治であるから、積もる雪ととりたい。
こうして情景を述べると、甘い歌なのであろうが、「玻璃」と漢字表記をすると美しいが、「ハリ」即ちガラスのことである。
天が鋭い硝子の粉を、噴き続けているのである。
大正七年賢治の妹トシが日本女子大学在学中であったが発病し、賢治は十二月に看病のため上京し、翌年二月全快したトシと帰郷したとある。
製作時期はその頃ではないかと思われる。

豪雪の地岩手に生まれ育った賢治にとって、雪は美しいだけのものではなかったはずである。
「永訣の朝」は、その後三年待たずにやってきたのだった。(2/22)

追記:その当時の建築様式からみて、天窓のレースは、結露が凍結し、「氷の華(ひのはな)を咲かせた」状態とも取れる。
他にも天窓の歌はあり、心象風景としての天窓ではなく、象徴として使われていると考えた方良いかと思われる。

天窓をのぞく四角の碧ぞらは暮ちかづきてうす雲を吐く
そしてこれも天窓ではないだろうか
ひそやかにちかづく暮にともなひてうす雲をはくひときれの窓