菜の花の黄溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに  水原紫苑  

そろそろスーパーマーケットの野菜コーナーの棚に、菜の花が並んでいても良いはずなのだが、今日は探したが無かった。
菜の花が大好きだ。
そう書くと、生け花だと大概の方は思われるだろう。
北の街では、菜の花を食する季節観は無く、いつもいつも菜の花のお浸しをお腹一杯食べてみたい
そう思っていたのだ。

きっと食いしん坊の妄想を抱いているのは、私一人だと思い、恥じ入っていたのだが
あるとき短歌雑誌を読んでいて、同じことを考えている人が居たことを知った。
その思いが、水原紫苑にこの歌を詠ませたと知ったときの幸福感、どのように伝えたら良いのだろうか。

菜の花の黄の溢れた処女(おとめ)はご自身のことだったのだ。(2/23.4)