死ぬまでをともに暮らすと来し舅のネルの寝巻きが風にはためく  久々湊盈子(ルビ・舅:ちち)

久々湊盈子の舅にあたる本名久々湊与一郎氏、俳人湊楊一郎は1900年1月1日に生まれ2002年の1月2日に亡くなっている。北海道の小樽市出身と、資料にある。
湊は新興俳句の弾圧運動にも抗し、創作だけではなく論に対しても、雄弁な方だったそうである。
1945年中国の上海に生まれ、肉親との縁に薄かった久々湊盈子にとって、嫁いだ久々湊家の両親により、家庭というものを知ったという。

16年間の介護生活、ともに暮らすとやってきたのは、86歳であったか。

86歳になったなら、ともに暮らすと素直にやって来てくれるのだろうか。
実家の父は、79歳。今年の6月で80歳となる。
来週の月曜にT市の市民病院に入院をさせ、翌火曜日には病理検査のため手術に立ち会わねばならない。
悪性リンパ腫の可能性が高く、手術後一週間ほどで結果がわかり、治療方針も決まるという。
外科で削除手術となることはありそうもなく、内科による治療となるであろうと、主治医に言われた。

父は大正15年生まれ、徴兵検査では第一乙種(腺病質であったため)、人間魚雷「回天」の操作の抗議を受けていたのが終戦の日であった。

実家のある町の総合病院にて検査を受け、紹介状と検査結果のコピーを持ち、28日の火曜日にT市まで夫とともに付き添い、行って来たのだ。
わが家は、実家とT市の丁度中間点にあたるのだ。

両親の老いを感じだし、同居を考え出してから、もう何年にもなる。
母は同意しているのだが、父は中々首を縦に振らない。
しかしもう待てない。強行突破あるのみである。
悪性リンパ腫であったとしても、年齢的に進行は遅く、治療次第では天寿をまっとう出来るかも知れぬと、期待を抱くのは、肉親として当然であろう。

父に対して、素直な良い娘であったとは、決して言えない。
高校三年の秋、進路を巡って対立してより、わだかまりは20年以上に及んだ。
やっとそれも解け、父と素直に向き合えるように、なり始めたばかりであった。

28日の憔悴ぶりの激しさは、夫も戸惑っていた。
三十代以降は身体も頑強であり、時間に正確な厳格な人であった。
10日間の不安による緊張が、不眠をもたらし、体力気力ともに消耗し尽くしたのだろう。
一気に年老い、痴呆の心配すらもしたのだ。

昨日様子を見に行き、前回した入院準備の物を、再度点検しなおしてきたのだが、二日間眠り大分復調したようだった。

愚痴日記です。自分の日記だもの、良いよね。。。。。。。。。