もうゆりの花びんをもとにもどしてるさっきあんな表情を見せたくせに 加藤治郎

加藤治郎は、加齢してゆく歌人である。
こう表現すると、誤解を招きそうなのであるが、表現、技巧それらが年数を経るごとに、成熟してゆく。

掲出歌は歌集『サニー・サイドアップ』より。

まだ二十代の頃の作品である。

この歌が、後朝の歌(古い表現でごめんなさい)であることを知ったのは、恥ずかしながら最近のことである。

先日そのことを友人に話したところ、友人も初めてこの歌に接したとき別な印象をもち、解釈が何通りにでもできる歌であることを話し合い、楽しませていただいた。

①さっきまで機嫌を損ね怒っていた恋人が、今はご機嫌で百合の花びんの水替えをしている。
②職場で昼休み、笑顔でランチを食べていたOLが、午後からの業務の途中、百合の入っている花びんの位置が業務上の邪魔にならぬように、場所を変えている。
(やはり働く女性で)
③会議室にて打ち合わせ中、厳しい表情を見せていた女性(作者が密かに好意を抱いている)が、会議が終わりふと窓際に置かれた百合の花びんのずれを直している。
④機嫌よく話をしていた妻または恋人が、話の成り行きで機嫌を損ね、その怒りの感情を抑圧するため、百合の花びんに手を持っていき気持を抑えている。

イマジネーションを膨らませながら解釈を論じ合うことも、歌を読むことの楽しみの一つである。
優れた作品からは、色々なイメージが喚起される。

そしてまた最近、知人のサイトにて

 波のようにめくれる遠いくちびるをみつめる君は朝に生まれた

 雨の午後届いた青い便箋のあなたの文字は裸体であった

 硝子器にあわく拡がる球根のようにあなたは闇を誘う

 クーラーの水のこぼれるろろろろと少女の舌はようしゃなかった

最新歌集『環状線のモンスター』のこれらの歌が、「エロチックな『愛の歌』である」と評をされていた。
(知人には、男女の愛の在り方を、レクチャーしたばかりだったのだが、今度は私が習おう)

加藤治郎はこれから、どのように歌の姿を変えてゆくのであろう。
老成する日が来るのだろうか。




矯正視力が1.2を越える眼鏡をかけて、細密な字を読んでいると
眼精疲労のため、途中で送信UPしたくなる私も、
共に加齢を進めて言っているのであろう。