泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん  松下竜一

社会派作家の松下竜一は1968年に歌集『豆腐屋の四季』を自費出版している。
松下竜一の著書は、大杉栄伊藤野枝の遺児・伊藤ルイズについて書かれた『ルイズ父に貰いし名は』を持っていた。
しかし、氏が歌人として活躍し、歌集が原作となりドラマ化されたことがあったことも、知らなかった。

松下竜一は、大分県中津市に生まれ、1950年母親の急逝により大学進学を断念し、家業の豆腐店を父に付き継ぐこととなった。
松下にとって、本意ではなかったのであろう。父親とも諍いも、少なくはなかったのではないか。

父切りし豆腐はいびつにゆがみいて父のこもれる怒りを知りし

とその事を詠んでいる
1962年頃から朝日歌壇(朝日新聞の短歌投稿欄)へと投稿を始め
1966年秋には妻洋子との結婚を記念に全29ページの小歌集『相聞』を縁戚らに配っている。
そのとき、竜一29歳洋子18歳であった。

我が愛を告げんには未だ稚きか君は鈴鳴る小鋏つかう
此の手もて美しき豆腐を造る妻となれよと小さな汝が手抱きをり

このように、洋子への愛を歌に詠んでいる。

1970年病気により家業を廃業、作家生活へと入る。

掲出歌は、1962年12月朝日歌壇に初入選したものである。
学業を諦め、継がざるを得なかった家業への、忸怩たる思いが読み込まれているようにも思われる。
歌人松下竜一について近藤かすみ氏も気まぐれ徒然かすみそうにかかれている。
また、作家松下竜一に興味を持ち出したのは、「ルイズ父に貰いし名は」をお譲りくださったHN談風氏によるところが大きい。

幼い頃好物ではなかった豆腐であるが、今年の冬はもう何度も湯豆腐をせずにはいられぬほどの、好物の一つとなった。
冷奴のつるんとした食感、熱々の湯豆腐を食む時の幸福感、それらをどのように歌人たちが詠んでいるのか興味があり、調べてみた。
山崎方代は「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る」「奴豆腐は酒のさかなで近づいて来る戦争の音を聞いている」
石田比呂志「その蝿を肩の先にし止らせて豆腐一丁買いに出で来ぬ」このように詠んでいる
豆腐の形が四角四面だからか、崩れやすいからなのか、男性歌人の詠む「豆腐」は、哀切であり哀愁を感じさせる。

食いしん坊の私は、短歌の資料化のためよりも、美味しい歌を次々と抜き出したく、夏炉冬扇氏よりデータベースとする方法を、習おうかと真剣に考えている。

豆乳の湯気が包めば真夜ながら豆腐する我が裸体汗噴く
睫毛まで今朝は濡れつつ豆腐売るつつじ咲く頃霧多き街