降る雨をすべて飲み込む巨大なる幻獣としてこの定型詩  藤原龍一郎

眠たいので、この後はまた)
(上の世代論、読み返してみると偏向しているような.....寝惚けていたので、後程書き直すかも)

藤原龍一郎は定型の人である。十代の頃「藤原月彦」の名で俳句を発表し、既に注目をされている。
この歌も、俳句が中心の同人誌「豈」36号に掲載された、「悲傷歌 『まぼろしの鱶』より」である。三橋敏雄句集「まぼろしの鱶」より引用した「冬青き酸性火口湖の微熱」が、この歌の右に書かれてある。返歌・オマージュとも違うようである

藤原は都市生活者の憂鬱を詠みつづけている。帝都東京へのこだわりが、彼の作品群を生んでいる。
一連の中に「永遠に癒えぬ傷口あることをダウンタウンの誇りとなせり」(俳句「新聞紙すつくり立ちて飛ぶ場末」)などがあり、常に都会に身をおいている。
家族を詠まず、私生活を垣間見せるような歌を作らない。
この姿勢は、最近の歌人では斉藤斎藤が近いが、斉藤斎藤は「詠むべき私性の無い私」がテーマのようである。(まだ氏の作品を深く読んでいないので、勘違いであればご容赦願いたい)
黒瀬珂瀾ダウンタウンを詠んだ歌があるが、もっと耽美的である。
藤原作品は、帝都と格闘し続けるファイターの一面もある。
藤原龍一郎は、自分の系譜を継承されることを、拒み続けている歌人ではないだろうか。

先の対談備考欄に、永井和宏が「家族」を詠うまでの葛藤を、書かれてある。藤原龍一郎も「家族」を詠うときが来るのであろうか。

他の歌人同様、藤原龍一郎も今後ゆっくりと考えて行きたい。

十数年前、子産み・授乳の日々の最中、久し振りに読んだ短歌雑誌(本人にとっては、永遠のように長かったが、きっとほんの一時であったのだろうが)、確か「歌壇」だったと思う、そこに藤原龍一郎の名を読み、深夜放送における諸々を詠んだ作品に、「あっ、藤原龍一郎が詠み続けている」何故か差し含んだ思い出があるのだった。